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「尾張のうつけ」は「天才」だった?

2018.05.11 更新




前回の続きだよ! 織田信長は「うつけ者」って呼ばれてたんだって!

でも、楠木先生は信長のことを「天才で危険な独裁者」って思ってたみたい。

どうしてなのかな?

 

「天才」は「うつけ者」とは正反対のイメージですが、どんなところが天才だったのでしょうか。

 

信長は、それまでの価値観にとらわれないところがすごいんだよね。

ふつうの人なら思いつきもしないアイデアをどんどん実行して、しかも成功させるなんて、信長にしかできなかったことだと思うよ。

 

具体的には、どんなところでしょうか?

 

たとえば、今川義元の大軍を打ちやぶった桶狭間の戦い。

ふつうなら10倍近い戦力差があったら、降伏するか、戦うとしても城にこもるというのが常識的な判断だけど、信長はあえて打って出ることで、今川義元を討ち取ることができた。

 

少ない兵で大軍をたおすなんて、まさしく天才ですね!

 

それから、武田勝頼をたおした長篠の戦いでは、当時おもな武器が弓や槍だったところに、大量の鉄砲を持ちこんでる。

前例のないことにチャレンジして、成功させたのが信長なんだよ。

 

でも、どうして信長はそこまで新しいことを取り入れられたのでしょうか?

 

突拍子もないことをしているように見えるけど、じつは、きちんと計算して行動しているんだよ。

桶狭間の戦いでは、わざと最初にいくつかの砦を見捨てることで主力を休ませ、敵が戦いつかれたところを急襲している。

長篠の戦いでは、戦国最強といわれた武田の騎馬軍団が相手だから、兵数でも、武器の性能と数でも勝っているという状態で開戦できるように準備している。

 

どちらも、計算があっての行動だったんですね。

 

ただ、信長はあまりそういう計算をしているふうに見えないから、さらに天才っぽく感じてしまうのかもね。

本当に勉強ができる人は、勉強しているように見せないというのに似てるかも(笑)

もしかすると、イメージ戦略として、「天才っぽい」演出をしていたのかもしれないね。

 

まだまだ続くよ!

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