第10(最終)回

2019年04月01日

Scene06 10月29日(月曜日) さよならふらんす


  2時半に、目が覚める。
 雨は止んでいて、妙に静か。
 ゆっくり時間をかけて、荷造りをする。ビールの空き瓶やフランス語の新聞で、スーツケースは、かなりパンパン。
 10時頃、山室さんが部屋に迎えに来てくれる。
 ホテルに来て初めてエレベーターに乗り、フロントへ向かう。床が板張りのエレベーターは、「リフト」と呼んだほうがピッタリくる。到着しても、自動でドアは開かない。手で押し開けないといけないことに驚く。
 ホテルの人にカードキーを返し、チェックアウト終了!
 お世話になったお礼を日本語で言い、ホテルを出る。数歩歩いたところで、パスポートの入ったセカンドバッグが背中にないことに気づく!
 慌ててホテルに戻る。
 フロントのところでは、ホテルの人と大柄な男性2人が何事か話している。なんだかややこしい話をしてるようで、なかなか、終わりそうにない。
 ――こちとら、急いでるんだ! 押しのけてやろうか!
 でも、押しのけるのは、体格的にもマナー的にも無理。
  もちろん、
「すみません。とても大事な用があるので、先に話をさせてもらってもよろしいですか?」
 と、言うだけの語学力はない。
 そのとき、すぐ横のエレベーターが、ガタガタする。どうやら、ドアを開けられなくて困ってるようだ。外側からドアを開けてあげると、中から大きなスーツケースを持った女の人が現れた。
 ぼくに軽く頭を下げ、フロントに行こうとするが、こっちが先に並んでるんだからね!
 すると、ようやく男性2人の話が終わった。
 急いでホテルの人に事情を話そうとしたのだが……何度も書くが、ぼくは日本語オンリーの人間。事情を話そうにも、言葉が通じない。
「すみません。部屋に忘れ物をしたので、111号室のルームキーを貸してくれますか?」
 すらすらと言ってくれたのは、山室さんだ。
 笑顔で頷き、ルームキーを出してくれるホテルの人。
 ぼくは、神速でキーを奪うと、階段を駆け上がる。ホテルのドアを開けると、
「あった!」
 ベッドの上に、セカンドバッグが乗っている。
 心底ホッとする。
 もし、パスポートをなくしていたら、洒落にならないレベルのハプニングだ。間違っても、ハプニングが起きて良かった良かったなどといえないだろう。
「本当におさわがせしました。すみませんでした」
 ホテルの人に、カードキーを返す。日本語だから意味はわからなかっただろうが、雰囲気は伝わっただろう。
 バス停で待ってると、空港行きのバスが来る前に、エレベーターで困っていた女の人がやってきた。
 笑顔で挨拶する彼女に、
「日本人ですか?」
 と訊くと、「中国人」という返事。
 今さら書くまでもないが、ぼくは中国語も話せない。そして、彼女も日本語がわからない。
「きゃんゆぅすぴぃくいんぐりゅっしゅ?」
 この質問に、笑顔で「イエス」と答える彼女。ぼくにも、英語でコミュニケーションがとれるということが証明された。
 しかし、パスポートの忘れ物騒動で、ぼくはかなり疲れている。ここからは、山室さんがコミュニケーションをとってくれた。
 山室さんに教えてもらったところによると、彼女は一人旅をしているところで、ニースに2週間滞在していたとのこと。        
 ――2週間! すごいお金持ちだ!
「リッチマン! いや、女の人だから、リッチウーマン!」
 ぼくの言葉に、彼女は首を捻る。「リッチ」って、英語じゃなかったのか……。
 山室さんが、「自分たちは編集者と作家。ニースへは取材で来た」ということを英語で話している。本当は、「自分たちは、トップブリーダーと山犬」と言ってるのかもしれないが、ぼくには確かめようがない。


 空港行きのバスに乗り、ニースの街に別れを告げる。
 エレベーターの彼女は、まだフランス国内を旅するのか、国内線ターミナルで降りていった。ぼくと山室さんは、笑顔で手を振る。 
 ぼくらが降りたのは、国際線ターミナル。


さらば、ニース空港

 航空チケットを入手。手荷物検査を受け、あとは飛行機に乗り込むだけという段階。
「お土産を買えるのは、ここが最後です」
 山室さんに言われる。
「限定品なので、これが最後です」「申し込みは、今日までです」――これと同じで、何が何でもお土産を買わないといけない気になる。
 空港のWi-Fiを使い、日本に連絡。
[1時間以内に土産のラストリクエスト]
 ……返信はなかった。
 で、勝手に土産を買う。
 まず、『コート・ダジュール』と書かれたキーホルダーを2つ。(もちろん、横文字で書かれてます)。
 どうしてフランスにいるかという問いの答えは、奥さんと「コートダジュールN゚10」のドラマを見たから。それを忘れないためにも、キーホルダーを2人で使おう。
 ……ドラマが、コート・ダジュールでロケされたかは、永遠の謎だけどね。
 あと、ワインとウイスキーとシャンパンの小瓶を買う。
 すっかり土産も買い終え、ベンチに座り搭乗時間を待つ。
 前のベンチには、妙齢のご婦人が4人座っている。聞こえる言葉から、ドイツ人だろう。
 4人は、賑やかに話をしながら、足下の袋からワインの小瓶を出しグビグビ飲む。飲み終えると、袋に小瓶を放り込む。そのときのガシャンと言う音に、こちらはビクッとする。
 そしてまた、新しい瓶を開ける。この繰り返し。
 よく、「ワインは水みたいなもの」というのを聞くが、4人の飲み方を見てると、「あんなに大量に水を飲めないぞ」と思う。
 ぼくは、心の中で、4人に「オーシャンズ4」という言葉をプレゼントする。


 一方、オーシャンズ2についての、一人反省会。
 まず、フランス編の取材については、完璧だった。何より、新しい探偵卿のキャラもできた。(ストーリーは、まだだけど……)
 作品にリアリティが出るかどうかは、ぼくの技術もあるので、何とも言えない。でも、どこかで“フランスに行ったから書けた”という部分は出るだろう。
 次に、ハプニング。
 これについては、今朝もパスポートを忘れそうになったりした。旅の間、何度もハプニング寸前まで行ったことがあるような気がする。それがハプニングにならなかったのは、敏腕編集者にしてトップブリーダーの山室さんがフォローしてくれたからだろう。
 もし、真剣にハプニングを希望するのなら、ぼくを一人で海外に送り出せばいい。起こしたくなくても、国際問題クラスのハプニングが起きる自信がある、哀しいことに。
 だから、ぼくは山の中で大人しくしているのが一番いい。それが、世界平和につながるのだ。
 これから、家でゴロゴロしてるのを非難されたら、「世界平和のために、仕方なくやってるんだ」と言い訳するようにしよう。
 そして、最大の目的――無事に帰る。(これが最大の目的であって、ハプニングを起こすのが目的ではない)。
 この点は、飛行機が落ちない限り、大丈夫だろう。


 甘い考えだったかもしれない……。
 ぼくは、時差ボケが起きないように、帰りの飛行機と新幹線は、全て寝ると決めていた。
(この結論を出すまでに、いくつもの数式を書き、「ホーキング博士が生きていたら、すぐに答えを教えてもらったのに……」と今は亡きホーキング博士を悼み、最終的には「世の中に寝るほど楽はなかりけり」という、おばあちゃんの口癖を思い出す必要があった)
 で、シートベルトを締めると同時に寝たのだが、乗客の悲鳴で目を覚ます。
 確かに、ミュンヘン行きの飛行機に乗るとき、海からの風が強かった。軽量級のぼくは、飛ばされそうなほど強い風だった。
 ――この風の中、飛行機は揺れるだろうな。
 そう思っていたのだが、予想以上に揺れたみたいだ。(というか、自由落下……)。腰から下が、スッと軽くなる感じ。
 乗客は騒いでるが、ぼくには、時差ボケを起こさないことのほうが大事だ。
 再び寝ていたら、また、乗客の叫び声。斜め後ろの女性は、泣き出している。
 飛行機は、落ちるときは落ちる。それは、どれだけ自分が頑張っても、どうしようもないこと。でも、時差ボケを起こさないようにするのは、自分の努力の範囲で可能だ。
 だから、ぼくは、必死で寝た。


 飛行機は、落ちることなくミュンヘン空港に着いた。
 ここから羽田行きの飛行機に乗り換えるには、50分しかない。
 入国か出国かわからない検査を終え、広い空港内を走る。
「15時30分発羽田行きLufthansa(ルフトハンザ)機、まもなく搭乗手続きを終了します」
 空港内に、アナウンスが流れる。日本語なので、意味がよくわかる。(書かなくてもわかると思いますが、「15時30分発羽田行きLufthansa機」は、ぼくらが乗る飛行機です)
 ぼくと山室さん、そして、どこの誰かは知らない人の3人が乗ったら、すぐに「ベルト着用」のサインが出た。
 ぎりぎりセーフ!


  羽田までは、ひたすら夢の中。
 いつの間にか飛行機は日本に着いていて、時計は10月30日の午前10時55分。
 自分の体内時計に訊いてみると、午前11時ぐらい。つまり、体調は万全。
 残ったユーロを日本円に換える。係の人と、普通に日本語で会話できるのがうれしい。
 そこから、ぼくは新幹線に乗るため品川へ。山室さんはご自宅へ――。
 つまり、オーシャンズ2の解散の時だ。
 ぼくは、言葉にできない感謝の気持ちを、頭を下げることで表す。本当に、ありがとうございました。 



帰りの新幹線から撮った富士山

 家に着いたぼくは、旅行中に、溜まった洗濯物を、すぐに洗う。
 体重を測ると、3.5キロ減っていた。連日、長距離を歩いたためだろう。
 家族のみんなは、お土産を喜んでくれたようだ。(グミは、不評だったけれど……)


 机の上には、フランスに行ってる間に届いた郵便物が固めておいてあった。   その中には、『指さしフランス語会話』もある。
「……」
 本を手に取る。
 ――持って行っても、たぶん使わなかっただろうな。                 
 本を見て会話するより、そのときに持ってる会話力で話すほうが、楽しい気がする。そして、もっと楽しむには、やっぱりちゃんと勉強したほうがいいようにも思う。
 少しばかりの向上心が芽生えたところで、『指さしフランス語会話』を本棚に片付け、このニース&モナコ取材旅行記を終えることにしよう。


29日のヘルスケア
 ウォーキング+ランニングの距離    5,3km
 歩数                 9,320歩

30日のヘルスケア
 ウォーキング+ランニングの距離    1,6km
 歩数                 2,989歩


そして今は、一日に1kmも移動せず、1,000歩ぐらいしか歩かない日々……。

 

<Fin>



長い間「オーシャンズ2の冒険」をご愛読いただき、ありがとうございました!
「怪盗クイーン ニース&モナコ編」は2019年夏刊行予定です。お楽しみに!!

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